遊郭とは何をするところ?簡単にわかりやすく説明します!

遊郭とは何をするところ?簡単にわかりやすく説明します。

映画や漫画で登場することのある遊郭。なんとなく聞いたことはあって、華やかな場所をイメージするけど、具体的に何をする場所かはよく分からない…そんな方も多いのではないでしょうか?

遊郭とは、何をするところなのでしょうか?

そこは、遊女たちが男性客をもてなし、楽しませる場所でした。

遊女は現代でいう娼婦のことですが、彼女たちが行っていたのは売春だけではありません。

遊郭を訪れた男性は、美しい女性たちと多様な楽しみ方で遊ぶことができました。

この記事では、遊郭とは具体的に何をするところか、歴史や意味も合わせて深堀していきます。

遊郭は何をするところ?何する場所?

遊郭とは、具体的には何をするところだったのでしょうか?

そこは、美しく着飾った遊女たちと食事やお酒をたしなみ、遊女が披露するお琴や和歌などを観て楽しむことができ、性的なサービスを受けることもできる場所でした。

ほとんどの男性が、お気に入りの遊女と一夜を共にすることを一番の目的で通っていたことは言うまでもないのですが、それだけではありませんでした。

遊女たちは、幼いころから厳しい修行を受けており、高いレベルでの芸事や教養などを身に着けています。そして、男性の心をときめかせ、掴んで離さない技術を身に着けているのです。

男性たちは、遊郭を去ったあとにも何度も遊女からの手紙を受け取ります。

それはまさにラブレターであり、当然心はときめき、すぐにまた遊女に会いたくなります。

こうした恋心を抱くことができるのも、遊郭で得られる大人の遊びの楽しさだったのではないでしょうか。

また、花魁と呼ばれる最高位の遊女とは、一夜を共にするのに最低三回は通わなければいけませんでした。

その都度数百万円単位での費用がかかり、三回を経てようやくその時が来てもさらに一晩で数百万円が必要でした。

さらに、途中で振られてしまうこともあったというので驚きます。

このような大金を持っているのはかなり身分の高い男性たちですが、このように遊郭ではお金さえ支払えば女性を好きにできるわけではありませんでした。

この美しい遊女をどうやって自分のものにするか、女性を立てながら多額の資金を投じ、スマートに手に入れる方法を攻略することは最高の遊びで、それは一種のギャンブルの様でもありました。

こうして遊郭は男性たちを夢中にさせていたのです。

遊郭はどんなところ?何する場所?

それでは、遊郭はどんな場所、何かをする場所だったのでしょうか?

遊郭は、「花街」「色街」と呼ばれることもありました。

この言葉から分かる通り、とても華やかで色彩豊かな町並みでした。

建物の2階が特に豪華で、こちらでは連日派手な宴が催されます。

また、上級遊女たちと床をともにできる個室などもありました。

その美しさや華やかさは、当時の人々にとって流行の最先端であり、憧れの場所。

特に花魁たちは男性だけでなく町の女性にとっても憧れの存在で、いわゆるファッションリーダーのようなものでした。

そのため、花魁の髪型や服装を真似する女性もたくさんいたといわれています。

このように、遊郭はその時代の贅を尽くした、彩り豊かで華やかな流行の発信地のようなものでした。

遊郭の意味とは?遊女とは。

遊郭の意味は以下の通りです。

周囲をかこわれ、多くの遊女が集まっている一定の地域。くるわ。さと。いろざと。いろまち。遊里。傾城町。遊疆。〔評判記・色道大鏡(1678)〕(出典:日本国語大辞典)

遊郭の文字にある郭(くるわ)は、囲うという意味があります。

遊郭には大門と呼ばれる門がありました。この門を通らなければ、遊郭に出入りすることはできず、門番が見張りをしていたといいます。

そして、基本的には出入りすることができるのは男性のみでした。

遊女たちは、自由に遊郭の中から外へ出ることができなかったのです。

そのため、籠の中の鳥とも呼ばれていました。

遊郭で働く遊女とは

遊女になった女性の多くは、多額の借金を抱えている、または親に売り飛ばされたなど、お金の問題を抱えている場合がほとんどです。

少女時代から禿(かむろ)という見習い期間を経て、17歳になったころに遊女としてデビューし、約10年間遊郭で働きます。

その間、身請けといって客が遊郭にお金を支払い、連れ出す方法はありましたが、この身請けには約数千万~億単位でのお金が必要でした。

これだけのお金をかけて身請けをしてもらえる遊女は当然少なく、限られた女性たち以外は遊郭で働き続けるしかありませんでした。

そのため、遊女を引退したあとも現役の遊女たちの教育や監督役として遊郭で働き続けることが多く、死ぬまでそこで働き続ける女性も少なくありませんでした。

遊郭という名称には、華やかな見た目の裏にある、当時の女性たちの不自由さや悲しい意味も隠れているのです。

遊郭の歴史を簡単にわかりやすくおさらい!

遊郭が世に出たのは、安土桃山時代に遡ります。

一説では天正17年ごろ、豊臣秀吉が京都に開いたものが日本で最初にできた遊郭だといわれています。

その後、江戸時代に遊郭は全盛期を迎えました。

そして日本最大の遊郭といわれる、吉原遊郭が誕生します。

そのころの江戸は、出稼ぎや奉公のために単身で出てきた男性が増え、人口が急増していました。そしてその影響で治安の悪化が大きな問題となり、幕府は困っていました。

そこに目を付けたのが、町人・庄司甚右衛門です。

ここで遊女を集めた場所を作れば、男性たちはその場所に集中するのではないか?という考えをもとに、幕府にそのアイディアを提案します。

そして幕府はこの提案を受理、こうして日本初の幕府公認の遊郭が誕生したのでした。

日本三大遊郭が生まれる

現代に置き換えると、政府公認の風俗街とはかなり大きな違和感がありますが、この時の政府は遊郭を公認にすることで、遊郭に関わる男性や遊女たちを風紀的に取り締まることができ、また税金の徴収もスムーズに行うことができました。

そして結果的には、江戸の治安の維持に役立つことになったのです。

こうしてできた政府公認の遊郭は、官許と呼ばれました。

その後、京島原、大阪新町と大都市での官許が誕生し、これがいわゆる日本三大遊郭です。

他にも全国に官許はでき、その数は約25か所にのぼります。その他非公認の遊郭も各地で急増し、地方によって料金が格安な遊郭、外国人を相手にする遊郭などそれぞれに特色を持っていました。

そして1957年に売春防止法が施行され、全面的に廃止となったことで遊郭は終焉を迎えたのでした。

遊郭とは何をするところ?簡単にわかりやすく説明まとめ

  • 遊郭とは、男性が遊女とともに飲食をしたり芸事を観たり、性的なサービスを受けることができるところ。
  • 遊女と遊ぶには多額のお金が必要だった。
  • 遊郭では、男性は自由に出入りができるが遊女たちは自由に出入りができない。
  • 遊郭には幕府公認のものがあり、官許と呼ばれていた。
  • 遊郭は安土桃山時代に発祥し、江戸時代に全盛期を迎えたが、昭和時代に全国的に廃止された。

遊郭がなにをするところか、歴史も踏まえてご紹介しました。

全盛期には、歌舞伎や音楽、華道や茶道などの芸事や、ファッションや建築物にいたるまで様々な分野の流行の発信地となった遊郭。その後の日本文化にも、大きな影響を与えています。

廃止された今も、遊郭があった場所には当時を感じられる面影が残されています。

映画や漫画を観て気になったら、一度訪れてみるとその世界観を体感できるかもしれません。

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